昔の国会議員は、迫力あったなあ~
単純に自分が年を取ったから、周りがほとんど年下になっていく。
昔、高校野球見て自分より年下だって事にショックを受ける。
プロ野球をはじめとするスポーツ選手が、自分より年下だって事に気がつく。
社会のありとあらゆる場面で、ほとんどの人が自分より年下になっていく。
ただ、国会議員に関してはまだまだ年上が多い。近づいてはいるけれど。
年齢が近づいてきたからかもしれないが、昔見た国会議員は迫力があった。
昔は迫力があったのか、今は迫力が無いのかいずれにしろ昔とは違う。
なんでだろうなあ、恐そうっていうのとは違うんだけど、今はみんな小さく見える。
身体がじゃなくてね、何かに秀でた人を見たときに、実際の身体の大きさよりすごく大きく感じたことがあるけど、その感覚に近い。
昔は良かったと、年寄り特有の昔話と言われるかもしれないが、明らかに迫力が違った。
なぜ迫力があったのか
なぜ昔は迫力があったと感じたのだろうか。
何か秀でた人は大きく見える、多分秀でた人と感じていたんだと思う。
岸田総理大臣はみんなの話を聞いていくと明言してるけど、国民の声を聞くのは当たり前で、明言するほどのことでもなく、聞かない人たちが反省をするべき事だろうし、つまり秀でた発言には感じられない。
昔の議員も国民の声を聞いていた、でもそれはどうなりたいか、どうなってほしいかという結果目標についてだ、豊かになりたい、平和でありたい、と目的においての意見を聞いていた。その目標に向かって結果を出すための方法は、俺たち凡人には考えもつかない、でもそれを現実として考えも及ばない方法を提示してきたの昔の国会議員だった気がする。
俺たち凡人は、その方法で目的を達成できるのかなど知るよしもないが、その発想に秀でた人と感じていたんだと思う。必ずしも、結果において目標を果たしていないにしても、その目標は遙か彼方に存在し、その遙か彼方に向かって活動していたように感じる。
でも、今の国会議員を見ていると国民の声を聞く内容は、どうしたらいいのか方法を聞いているように見える。
遙か彼方の、みんなが豊かで、平和でと望む目標を国会議員がそう言われましても、と否定しているように感じる。
で、じゃどうしたらいいんですか?との逆質問(麻生さんが記者によく言っていた)、わかないなら黙ってろ的な。
態度はでかいが、やはり秀でた人には感じない。
昔は、方法を考えるのが国会議員だったので、驚くような事を行ってきた。
田中角栄中国訪問、小泉純一郎北朝鮮訪問、えっ、まじで。
結果どうなっていくのかなんて誰もわからない事を、少なくても政治生命どころか本当の命かける位の覚悟はあったと感じる。
その結果がどうだったのかではなく、その時は明らかに目標に向かっての真っ直ぐに進んでいったんだと思う。
今は、そんなことしたら国民にバッシング食らうし、俺は関与してなかったって言うことで。
コロナだって、どっち付かずで何も得ず、最後にはなぜ感染者が減ったのかもわからず。
やっぱり、物事に取り組む覚悟が違うんだと感じる。
今回の選挙で誰に投票する
で、改めて今回の選挙誰に投票しようか考えたけど、誰も思いつかない。
顔ぶれ見ても、地元の国会議員のこと何も知らない、テレビで見る国会議員も1人の議員。
俺が投票する相手も1人の議員、何かが違うような気が、俺本人の問題なのかそれとも制度の問題なのか。なんとも答えが見つからない。