45歳定年制を正しいか正しくないかで判断することが間違い
45歳定年制、まあ俺のようなジジイからすれば過去のこと。
目の前の60歳定年で、今生きるか死ぬかの状態だしな。
45歳で定年、職探しのライバルが増えるだけってな。
でも、45歳定年制が何を言わんとしているのかは、なんとなくわかる気がする。
人間の方向性を決まる年齢は、最低でも45歳までには決まるだろうってことかな。
だから、人生の分岐点は60歳から第2の人生ではなく、
45歳で一度考えようと言うことなんだろうと感じる、
60歳で苦しむ今だからこそ痛切に実感するわ。
だから、45歳定年制の話を定年制と言う制度の話として捉える事は間違いだと思う。
何を言わんとしているのかを感じないと、全然主旨の違う議論になってしまう。
35歳で人間形成は終了する
昔、ある人に
「人間は、35歳ぐらいまでで出来上がる。」
「35歳以降は、その出来上がった人間が何をするのかを考える。」
と言われたことを思い出す。
丁度その時自分は35歳で、自分が何者かなんて考えたこともなく。
本当にまだ学生の延長だった。しかも、仕事より遊びだったし
どうやって女性を口説くかしか考えていなかった。
「35歳が12時で、午前中にやって来た事を見直し、修正が必要ならば修正し、
午前中に出来なかったことを午後にやっていく。」
やばいな俺、35歳がまでなにもしてこなかったと凄いショックを受けたのを思い出す。
で、今に至ってるのがまた恐ろしい。
心当たりがみんなあるはず。
私、ジジイになる前は、31歳、38歳と転職を経験しておりました。
31歳に営業職で、あるとこに引っ張られまして、
いわゆるヘッドハンティングってやつで、
また、38歳には総合管理で任される仕事に付き、
最終的には、いつの間にかずるずるとジジイになっていた。
誰しもが、新人から中堅へ、管理職へ。
何もわからずがむしゃらだった時から、なんとなく仕事が楽しくなったと時へ。
権限が増えそこに責任が増え、年齢と共に悩みや、充実感をそれぞれのタイミングで受け止
めてきたんだと思う。
だから、45歳定年はおかしい。と言ってる自分に不甲斐なさを痛感している人もいるはず。
少なくても俺はその一人。
法律と文化
「法律より文化を大切にしたい。」
俺が尊敬するある経営者がいってた言葉。
田植えを行うとき、昔は手作業を大人数で行っていた。
人それぞれに能力はバラバラで、早い人遅い人それぞれ。
体力のある人無い人、得意な人不得意な人。
いろんな人がいる中で、自然にリーダーが現れる。
遅れてる人、疲れてる人、少しでも作業を効率化、平均化したいと考える。
自分だけが突出してれば良いとの個人主義ではなく。
全体での効率成果を考えるリーダーが、
唄を唄い出す。
唄でテンポを作り出し。
唄で少しは楽しく辛さを軽減する。
効率性の構築と働く環境の整備。
で、作者不詳の田植え唄が完成する。
対称的にテンポを揃え効率化を良くしようと、
管理者側が号令を挙げてテンポを合わせさせる。
つまり、田植え唄が文化で、号令が法律なんだと思う。
定年制度と言う法律からのアプローチではなく、
仕事をしてきてそれぞれの時期に分岐点があり、
それぞれがその分岐点で自分を見つめ直す。
その分岐点として45歳と言うのは大きく変われる、
またその後の自分を決定する機会だから。
という自己啓発の話なんだと思う。
だから、定年制の問題ではなくて自己啓発の話であって、
問題は結局何を伝えたいのか、伝えたいことを伝えられない、
経営者の問題なんじゃねえかな。