60歳定年ジジイの自己評価

人間

この機会に自己分析

60歳で就活をするにあたり、履歴書を作成。

改めて自分を見直すきっかけに、あれ、自分ってホントに世の中に必要?

狭い世界で同じ事を繰り返してきたジジイがどんなものか、

世の中からはどんな風に見えているのか、第三者的に冷静に見てみるか。

他人に対する評価は数限りなくしてきたけれども、

自分を見つめ直すことはほとんどの人がしていないだろうな。

他人への評価から考えても、自分の評価と他人の評価が一致している人間はほとんどいな

いだろうな。

自分の評価

  • 社交的で、新しい出会いや行動にあまり躊躇せず取り組める。
  • 社内の人間関係でも、年齢の差をあまり意識せず対応できる。
  • 多くのことに興味をもち、浅くではあるが広く知見を持っている。
  • 真面目で責任感をもって事に当たって行く。

他人の評価

  • プライドが高い。
  • 空気を読めず、人の領域にずけずけと入り込んでくる。
  • 頑固で自分のことは正しいと思い込んでいる。
  • 応用が利かず、他人に自分の概念を押しつけてくる。

自分の評価と他人の評価

自分の評価を、本心に近い考え方で誰に遠慮することなくちょっとひいき目で考えてみた。

自分は素晴らしく、いい人間であると本心は思っている。

本音で語れば、ほとんどの人間がこう答えるはず、一部短所をあげる人がいたとしても、

あくまでそれは謙遜でしかないと思う。

他人の評価は、いかに自分が素晴らしい人間だったと思っていても、

その内面を他人にきちっと評価されてるとは思っていない、誤解されていると思っている。

自分の評価と他人の評価を極論で表現してみた。

ほとんどの人間は自分の評価が高く、他人の評価は低い。

やはり、自分へはどっか甘い判断をして他人には厳しくなるんだろうと思う。

自分の評価は、実はほとんどが勘違い

自分への評価を正しく行える人はほとんどいない、必ず過大評価をしてしまう。

多分能力のある方は、これを理解しているから、過小評価を自分にするんだと思う。

謙遜をし、自分をたいした人間じゃないと自分に問う。

自分の評価、自分を知るということを改めて考えると、自分を自分が一番知らない。

正確に評価できる訳がない。そうありたいと願望でしかなくなる。

だから、自分の評価はほとんどが勘違いか妄想でしかない。

自分の評価と他人の評価の違いの大きさが人に嫌われる大きさ

自分の評価と他人の評価が違うのは当たり前だとして、

その違いの差、ズレの大きさが人に嫌われる大きさなんだな。

人からあまり評価されてないのに、自分は完璧だと思っている。

好かれるはずがない。

人から凄いと思われてるのに、自分はたいしたことはないと謙遜する。

とても好かれる。

人からあまり評価されてなく、自分でもそう思っている。

尊敬はされないが、あまり嫌われない。

自分を知るには他人からの評価を読み取る

自分の顔を見る場合、鏡でしかみれずそれは左右反対に写っている。

自分を見ることさえままならない。そんな自分が自分を評価しようとすれば、

他人がどう自分を見ているかが正確に自分を判断する方法なんだと思う。

人の目を気にする事は、ネガティブに捉えられることが多いけれど、

逆に必要なことだと考える。自分はあえて人の目を気にしてきた。

性格もあるんだろうけど、他人の目を気にするべきと考えてきた。

人がなんと言おうと自分は自分、との考え方を否定はしないが、

その行動で他人は自分をどう見ているのかを感じるべき。

自分の評価と他人の評価の差が大きくならないよう、そして嫌われないように。

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