常識・普通・当たり前は、本当に常識・普通・当たり前か?

人間

常識・普通・当たり前って?

常識 一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。

普通 特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること。また、そのさま。

当たり前 そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。

「常識をもって、当たり前に生活することが普通。」

全く画が浮かんでこない。当たり前に普通のことを言っているのに。

常識・普通・当たり前は判断するための指標として正しいか?

SNS使ってないの?SNS使うのは常識だし。って孫。

SNSって何?っておじいちゃん。

どちらが常識人?

目玉焼きには普通醤油だろう、っておじいちゃん

ケチャップかソース、マヨネーズもあり、って孫

どちらが普通?

年賀状を送るのは当たり前、っておじいちゃん

LINEでよくね、って孫

どちらが当たり前?

常識・普通・当たり前は主観的で環境や立場で全然違う。

判断は中間層、そして多数決

それなのに、人間は常識・普通・当たり前がどこにあるのか必死に探す。

お互いを常識がなく普通じゃないと認識し、分断が起こる。

そこに中間層が加わる。

SNS使ってないの?SNS使うのは常識だし。って孫。

SNSって何?っておじいちゃん。

もう時代はSNSなんだよ、ってお父ちゃん。

どちらが常識人?孫に決定。

目玉焼きには普通醤油だろう、っておじいちゃん

ケチャップかソース、マヨネーズもあり、って孫

ケチャップそもそも嫌いだし、ってお父ちゃん。

どちらが普通?おじいちゃに決定。

年賀状を送るのは当たり前、っておじいちゃん

LINEでよくね、って孫

どっちでもいいよ、ってお父ちゃん。

どちらが当たり前?どちらも当たり前に決定。

分断の発生

中間層がどちらかに意見を寄せれば、それが多数決で決定していく。

それぞれの主観で常識・普通・当たり前をもっているだけでは、

お互いに干渉せず、共存をしていけるのに、

それを常識・普通・当たり前と確定することで分断が発生する。

多数であることで自分の主観が正しいと安心する。

多数であることで少数を圧倒する。

だから自分の主観が正しく、そこに同意を求める。

多数を圧倒的多数に、出来れば全会一致に。

民主主義は多数決

民主主義は多数決で決定する。その通り。

でも、多数決が必ずしも正しいのではなく、

正しく導くための方法を、その時に選択するための手法でしかない

本当に正しいことが、その時は少数であった事は歴史上多くある。

昔は常識だったことが、今に当てはめると非常識であることも多くある。

自分の考え方をヤフー知恵袋に投稿して、ボコボコに論破され、

ほとんどの人が反対だったとしても、反対意見の人数ではなく、

その内容において、自分が間違ってたと判断しない限りは、

少数であっても正義だろうと思う。

なるほどと理解はしないのに、少数派だからと考えを変えるのは間違いだと思う。

少数派の意見を聞いていくのが民主主義

どんなに少数派でも目玉焼きに醤油をやめられないし。

年賀状も送る。SNSも機会があればいじってみたいし。

だから醤油も買うし、年賀状サービスも世の中から消えない。

多数派による少数派の撲滅ではなく、

多数派が少数派の意見に耳を傾けながら、正しい方向に導く。

分断は必ず起こることとして、

分断の溝を大きくするのではなく、溝を小さくしていくことが必要なのでは。

常識・普通・当たり前をどこかに固定させることは、

常識的ではないし、普通じゃなく当たり前ではない。

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