【飲みニケーション】って言葉はもういらない

人間関係

飲みニケーションって言葉

飲みニケーションって言葉はどうみてもオヤジギャグの部類。

誰かが思いついた時点でガッツポーズ取ってるオヤジを連想する。

結構昔からある言葉だけれども、若い世代からの発信ではないのは確実。

スタートはオヤジから(上司)からだったのが明らか、

若い世代(部下)が年齢を重ねオヤジになってから同じ考えに。

昔からの慣例になっていっただけなんだと思う。

ジジイが思う、実はオヤジ(上司)も飲み会は嫌いな奴もいる

お酒が好きではなく、若いときから会社の飲み会はつらい思い出しかない。

無理矢理参加させられて、酒を飲まされて、酒に潰れてそれを罵倒される。

いやいや、いじめ通り越して拷問ですから、って経験しかない。

だから中堅になりある程度の立場になったら嫌な会合には参加しなかった。

ただ、部下や後輩から誘われれば積極的に参加はしていた

(財布代わりに誘われたとしても)。

自分が嫌だった思い出があるので、会合があればそれは絶対では無いので、

参加しなくてもイイという空気感を作るのは大事だった。

年代は実は関係ない

年代別に飲み会が必要か必要じゃないかのアンケート結果をテレビでやってたけど、

年代別の差はなかった結果になっている、激しく同意。

年代別であるわけがない、飲みニケーションって言う言葉がかなり昔からあって、

その頃の人間が年齢を重ねていないわけじゃないから、

若い若くないで差が出るわけがない。

だから肯定派と否定派は年代関係なく一定数決まっているんだと思う。

コロナ禍で行かなくてすむ生活から、

行かないのが楽なことに気が付いた人が多く現れたから数字が上がっただけ。

コミュニケーションを取るのが苦手な人が酒の力を借りただけ

飲み会と言っても職場の飲み会、友達との飲み会、合コン的な飲み会様々あって、

飲み会を開くことが最終目的ではなくて、

親交を深めたり、日頃のストレスを解消したり、お互いを知ったりと

飲み会はその目的のためのツールのひとつでしかない。

会社において後輩や部下とのコミュニケーションをとれない上司が酒の力を借りて、

なんとかしようと飲み会を開く。それが嫌だと思われる飲み会の大多数だと思う。

勘違い、どこまでも平行線

「あんなに飲みに連れてってあげてるのに。」と愚痴っていた元同僚。

自分の思い通りにならない後輩に対しての発言だった。

「お前が嫌われてて、嫌いな奴から誘われて行く回数が多ければ多いほど嫌われるよ。」

と助言はしたけれど、全然ピンと来てないようで。

「もうあんな奴、誘わないから!」

本人は誘わないことが制裁のように思っているけど、後輩は逆にほっとしている。

飲み会に関する感覚がどこまで行っても平行線のまま。

飲み会はコミュニケーションのツール?

飲み会がコミュニケーションのツールと言うことにも疑問が残る。

本来その人との関係性がうまくいっているから、じゃあ飲みに行こうとなるので、

飲みに行って関係性を良くしようとすること自体間違っている。

逆に飲みに行けるくらいに仲良くなりたいが、正解なんじゃないかと思う。

この人と飲み会に行けるようになったと確信するツールだと感じる。

飲みニケーションという言葉はもういらない

コミュニケーションを取るのが苦手な上司が、酒の力で舌が滑らかになり、

延々と自慢話と、説教を繰り返す。

上司は話した分ストレスも解消され、好きな酒も飲めて心地よくなる。

部下は反比例でストレスがたまり、上司がとっても嫌いになる。

一定数の飲み会が必要と感じる層と、絶対いらないという層ができあがる。

コミュニケーション能力の低い上司が、

飲みニケーションという言葉を利用して部下に参加を促し、

上司として部下とイイ関係性を作っているという幻想に陥る。

飲みニケーションは人間関係の良好な構築に必要と間違った固定概念から、

飲みニケーションという言葉を連発し、会合を開きまくり自己満足で終わる。

会社の飲み会を肯定するような【飲みニケーション】という言葉自体死語になるべき。

言葉がなくなっても、一定数飲み会というツールに頼ってる人が居る以上続くかな。

飲みに行きたい人と飲みに行くのが幸せなだけ。

「飲みに行きたい人に僕はなりたい」相田みつを風

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