人との出会い
それぞれの立場や環境によって、人との関わり方は違ってくる。
昔から営業という職種柄、人との出会いは多く経験してきた。
必要最低限での出会いさえあれば、満足だったが、
仕事柄それを超える出会いが求められた。
で、いつの間にか人と出会う行為は、自分の中では義務化されていった。
人との出会いにそれぞれ感動はなった、日常の出来事だ。
「好き」か「嫌い」か
ただその中で、一部違う感覚の出会いがある。
何が違うのかは自分でもよくわからない、感覚の問題で微妙な違いだか。
話していて心地がいい、価値観が近い、何かが違う出会いが時々ある。
何となくは気が付いている、「好き」か「嫌い」かなんだろうな。
どちらでもない普通の出会いがほとんどで、「好き」か「嫌い」はあまり多くない。
「嫌い」のほうが「好き」より多いかも、でもほとんどが「普通」だ。
嫌いには極力回避を心掛けているのだが、なかなか思い通りにはならない。
ただ厄介なのは、「好き」の方だ。恋愛などの感情ではなく、あくまで「好き」な感覚。
若い時と違ってこの感覚は、年齢を重ねるごとに強くなってきた。
人との関わり方
人と仲良くなるために、飲み会や食事会を開く。この意見には反対である。
人は仲良くなったから、飲みや食事に行くのだと思っている。
仲良くなるために、「嫌い」な人間と飲み会や食事に行っても余計嫌いになる、
仲を深めるためはわかるけど、仲良くなるためは違うと感じる。
仕事関係で知り合った方で「好き」と感じる人とは、違った環境で話をしたいと思う。
だから食事にと誘ってみる。そこで新たな発見をする。
「好き」という感覚
ただ、最近は出会った人のほとんどが「好き」なのである、異常な状態。
それは、運が良くて「好き」な人ばかりと出会う、ではなくて環境でした。
前にも言いましたが、恋愛とかの感情じゃなく「好き」なのです。
「好き」を理解するために、「嫌い」を研究したいと思う。
「嫌い」という感覚になる人は、
思いやりがなく、助け合うことをしない・・・優しくない
過去にこだわり、自分が正しいと押す・・・自己中心的
自分で戦わず、傷を負うことを避ける・・・責任感がない、自責を認めず他責にする
自分の考えがなく、信念がない・・・人の意見に流される、本質で弱い
こんな感じですかね。
逆に言えば、優しくて、周りへの気遣いを持っていて、責任感が強く
自分の考えをもち、信念がある。こんな人が多いのは、奇跡なのかも。
人間関係の難しさ
ここまでの「好き」「嫌い」はあくまで私自身の意見で、
相手が自分をどう思っているかは、まったく不明である。
今の環境は、優しく快く受け入れられ、
もしかしたら自分を「好き」というカテゴリーで受け入れてもらえている、
と、思っていました。この思い込みで、失敗をしてしまいました。
自分が「好き」な人は、自分を「好き」でいてくれると思ってしまいました。
やっちまったな!
相手も「好き」であるという、勘違いを前提とした行動により、
ただのウザい年寄になってしまいました。
この間違いは致命的です、気が付くのが遅すぎました。
気が付いてない時の自分は、とてもウザかったと思います。
あまりの、環境の良さに、いい年をして浮かれていました。
そして、人間関係の難しさを痛感し、
今後は、自分が「好き」と感じる人をきちっと見つめ、
「好き」と思ってもらえるよう精進しようと、この年で思うのでした。
ただし、年を取ると「好き」という表現は、周りから誤解されやすい気が。
はー、年取るのはつらいねー